月報 第17号・第18号

月報第17号 第9巻 上

小川洋子

「蜘蛛の子を散らす」

 昭和のトイレにはよくクモがいた。しかも生やさしい種類ではない。赤や黄の鮮やかな色合いを持ち、全身毛だらけで、掌(てのひら)よりも大きな図体をしたクモだ。暗がりの中、それが壁に張り付いている。

 そういうトイレで用を足さなければならなかった我々、昭和の子どもたちは何と勇気があったことだろう。いつ相手が糸を伸ばし、ツツーッと首筋に降りてくるかもしれない、という危険を予測しながら、無防備な体勢を維持する。そこには単なる生理現象を超えた、クモ対子ども、野性対野性の闘いがあった。

 ある時私は闘いの緊張感に耐えられず、スリッパでクモを叩いてしまった。思いのほか呆気なく相手はぐちゃりと潰れたが、次の瞬間、フワフワ、モワモワとしたなにものかが、こちらに向かって次々あふれ出してきた。煙か泡のようにそれは際限なく湧き立ち、四方に広がり、本体のクモを上回る存在感で勢力を拡大していった。スリッパの一撃が、取り返しのつかない事態を招いたのだ。クモの怨霊に反撃され、どうしようもできずに私はただ立ち尽くしていた。スリッパを握り締める手が汗ばんでいた。壁に残るクモの内臓は、色鮮やかな体に比べて地味な灰色だったが、その染みの形は呪いのサインのようにおどろおどろしかった。

 この強烈すぎる記憶のせいで、私は今でも、「蜘蛛の子を散らすように……」という比喩が使えない。

 トイレのクモは怖かったが、『ファーブル昆虫記』に登場するクモは好きだった。ファーブルの手にかかれば、どんな気味の悪い生き物でも、賢者になり、芸術家になる。物語の主人公として生き生きと活躍しはじめる。例えばナガコガネグモの卵のうをファーブルは、〝可愛らしい西洋梨の形をした繻子(しゅす)の小さな袋〟と表現している。袋の表面を飾るのは、子午線のような茶色いリボンだ。母グモは卵のうの中に、〝信じられないぐらい繊細な〟〝柔らかな寝床〟を用意している。そして五百近い卵が、この愛情たっぷりの布団に守られ、目覚めの時を待っている。

 あのクモが、これほどまでに見事な工芸品を隠し持っているとは、何という不思議だろう。〝たとえ私の文章のような貧しい衣裳を着せられたとしても真理はやはり美しいのである〟と、ファーブルは謙虚に書いている。美とは無縁のトイレの片隅にさえ、ちゃんと真理は存在している。潰れたクモの染みは決して呪いのサインなどではなく、真理のありかを指し示す道しるべなのだと、ファーブルはそっと私に耳打ちしてくれる。

 あの時、私のスリッパに母親を奪われた子どもたちはどうしただろう。居心地のいい寝床を不意に追い出され、相当慌ててはいたが、湧き立つ勢いはエネルギーにあふれ、頼もしい感じでさえあった。死んだ母親に未練を残し、ぐずぐずしているものなど一匹もいなかった。皆きっぱりとして立派だった。もしかしたら私が、蜘蛛の子を散らすように、と書けないのは、気味が悪いからではなく、罪悪感のためなのかもしれない。

月報第18号 第9巻 下

小野展嗣

「ファーブルの見たサソリの奥深さ」

 アメリカの『ナチュラル・ヒストリー』(二〇〇一)という雑誌に載ったエッセイ「Mushi」の著者エリック・ローランは、日本の子供たちが夏になると「野原で昆虫を採集して遊ぶことに何時間も費やす」ことに驚嘆して日本独特の虫の文化を紹介している。外国では子供に昆虫採集をさせる親はほとんどいない。私の欧米の研究仲間や友人の誰一人として『ファーブル昆虫記』を読んでいない。日本人は「虫」に敏感だ。あんなにたくさん「虫嫌い」の女性がいるのに、対極にある「虫好き」は、なぜかお母さん方にも認知されている。

 小学校の低学年のころ、私は、ヤブガラシの花に集まるアシナガバチやスズメバチが大好きで捕虫網(ほちゅうもう)で捕まえてはジャムの空瓶で作った「毒瓶」に放り込み、父と親交のあった医学者の野村達次(のむらたつじ)さんからもらった大人が使う本格的な昆虫標本製作用具で標本を作った。かたわらには古川晴男(ふるかわはるお)著『昆虫の生態』(偕成社)があったので、確実にファーブルの影響を受けていたと思う。

 中学生のとき、トンボの専門家でもあった宮川幸三(みやがわこうぞう)先生に感化を受けて生物学を志したが、クモの円網(えんもう)の美しさにすっかり魅了されて一生の付き合いとなった。蜘蛛(くも)学会に入会して八木沼健夫(やぎぬまたけお)先生からいろいろ教わるうちに、ドイツのゼンケンベルク自然博物館に保存されている四百種ものクモのタイプ標本(分類の基準となった標本)を調べないと日本産のクモの分類は始まらないと考えた。この標本はお雇い外国人のデーニッツDÖNITZ,Wilhelm(一八三八—一九一二)が明治時代に来日して、主に佐賀県で採集したものである。そして大学を卒業して渡独した。今考えると、じつに単純な動機だが、マインツ大学に七年も下駄を預けることになる。

『昆虫記』には、鱗翅類(りんしるい)や直翅類(ちょくしるい)、半翅類(はんしるい)、双翅類(そうしるい)はあまり取り上げられていない。多様な行動様式を示す膜翅類(まくしるい)(ハチ目)のページ数が全巻の三分の一を占め、次位の甲虫類(こうちゅうるい)とで六割近くになる。しかしその次にページが割かれているのは、クモやサソリなど昆虫でない虫の物語で、なんと一割を占める。正確には『ファーブル虫記』というべきだろう。

 サソリという動物には謎が多い。DNAをもってしても系統学的な位置がなかなか定まらない。鋏角類(きょうかくるい)は「ペルム紀の悪夢」といわれる地球史上最大規模の大量絶滅を乗り越えてきた兵(つわもの)ばかりなので、DNAを妄信すると進化や分類の解明、つまり系統樹が描けない可能性がある。クモやサソリは、糸や毒といった狩りの技を磨くことで絶滅を免(まぬか)れ、中生代以降飛躍的に進化を遂げた昆虫を餌(えら)とすることで、今日でもその多様性を保っているのであろう。

 サソリの生態や行動を科学的に観察して記録したのは、じつはファーブルが最初である。『虫記』では多くの章で、獲物の捕り方や、雌雄(しゆう)の交渉などが、恋や結婚、家族といった日常の言葉を使って語られている。しかし、八十歳を超えたファーブルの目は、精包(せいほう)の授受というこの仲間独特の性交渉を見逃してしまった。もっともそれが明かになるのには、さらに五十年の歳月を要した。

 しかし、それ以上に私が注目するのは、ファーブルの「獲物によって毒への耐性(たいせい)が異なるのはなぜか?」という問いかけだ。広範な実験を繰り返し、毒を昆虫の系統や生理作用を研究する上での化学的な指標(センサ)として使おうとする試みもみられる。結局この疑問は解明されずに終わっているが、毒性の多様性を見いだした先見性が認められる。

 クモ綱(こう)の動物のなかで、毒をもっているのは、サソリとクモとカニムシである。彼らの毒は本来防御のためのものではなく、獲物をより効率よく倒すことが目的だ。しかし、三者で毒腺(どくせん)の位置や毒を出す機構はそれぞれまったく違っている。

 まず、サソリは、ご存知のように尾端(びたん)に一本の毒針がある。獲物の昆虫を鋏状(はさみじょうの)の触肢(しょくし)で押さえつけ、後腹部(こうふくぶ)を上方に反らせて、獲物に毒を注射する。この毒針のある尾節(びせつ)は、姉妹群(しまいぐん)のウミサソリ(四億六千万年前から二億五千万年前、古生代の地球上に生息した海生動物)の尾剣(びけん)と相同(そうどう)(同じ起原のもの)で、初期のサソリは水生で、ウミサソリから派生したか、共通の祖先をもっていたと考えられている。面白いのは、毒針は一本だが毒腺は一対(つい)あることだ。腹部後端(ふくぶこうたん)という位置からも、何らかの排出器由来ではないかと思う。ひょっとすると、クモの出糸機構(しゅっしきこう)や、サソリモドキが酢酸を噴射する肛門腺(こうもんせん)と関係があるかも知れない。

 クモの毒は、鋏角の末節から射出される。後から獲得した形質と考えられてきたが、最も原始的なハラフシグモ亜目にも存在し、出糸機構とともに、クモ目の共有派生形質とみなされるようになった。初期、牙(きば)の先端近くにあった毒腺は、進化につれて鋏角の基節(きせつ)に広がり、やがて、頭胸部(とうきょうぶ)の上部から後方へと巨大化していく。網(あみ)を張るクモは、獲物の捕獲に糸を使うが、網を張らなくなった狩猟性のクモでは、武器は毒だけなので毒腺の発達が著しい。ハエトリグモやカニグモでは「昆虫」に対して猛毒で、毒量も多い。

 カニムシは鋏角から糸を出すが、クモの毒と相同かも知れない。サソリと一見よく似た格好をしており、キカニムシ亜目とコケカニムシ亜目では、触肢の鋏の先端に毒歯(どくし)があって毒を出す。しかし、これはおそらく二次的に形成されたもので、カニムシの毒に関しては、虫体が小さいので、あまり良くわかっていない。お話としては、尾が退化してしまったので、触肢だけで効率よく獲物を捕らえるために毒を出すようになった、ということになる。実際、獲物の捕獲に使っており、トビムシなどの獲物が挟まれると体が麻痺する。

 いずれの毒腺も外分泌腺(がいぶんぴつせん)で、導管によって単純な射出口につながる。ハブやマムシの牙から毒がほとばしるのと似ている。毒の主成分はタンパク質だが、種(しゆう)ごとに異なった酵素や遊離アミノ酸など多種の生理活性物質が検出されている。しかし毒成分が判明しているのはほんの一部の種で、世界中で既知の四万五千種のクモ、千二百種のサソリのほとんどで未知である。最近、クモも進化の過程で獲物が種ごとに限定されてきているのだから、餌を獲得するための毒の量や成分、そして、獲物に対するアプローチが多様になっているはずだ、という議論が始まっている。そして実際に毒の成分もじつに多様で、それは獲物との関係の上に培われてきているのだ、ということがわかってきた。

 ノーベル化学賞を受賞した福井謙一(ふくいけんいち)さんは、『ファーブル昆虫記』に触発されて科学者を志した。そして、斬新なアイディアで実験を繰り返すファーブルの姿を見て、「彼は自然科学のどの分野でも大成しただろう」と記している。さらに、現代の科学者に対して、もっと文学を勉強しなければいけないとさえ言っている。ファーブルを例に引くまでもなく、科学も言葉で語られるのだ。