「ファーブルのあと」
「シェークスピアとダンテとどっちが偉い?」みたいな背比べは、無意味だと思う。けれど、文学史を見渡して体系づけようとする場合、おのずとランキングの側面が出てくる。取捨選択自体が一種の格づけであり、そんな選択抜きには当然、文学は語れない。古代まで視野に入れて西洋の大詩人を挙げるとなると、ホメロスとウェルギリウスがトップにくるだろうか。大叙事詩を作り上げた二人はとっくに〝詩聖〟の域に入り、また〝詩人〟を表わす代名詞としてその名が使われたりもする。
ジャン=アンリ・ファーブルのことを英語で紹介するとき、よく the Virgil of the insects(昆虫のウェルギリウス)と呼ぶ。昆虫少年だったぼくは、ウェルギリウスの詩を読むよりも前にファーブルに出会っていたので、その〝又の名〟を聞いても格別な感動はなかった。ま、ファーブルのポエティックな文章をたたえて、〝詩人〟という意味でウェルギリウスが使われているのかなと、そう軽く受け止めていた。
ところが、大学生になってちゃんとウェルギリウスの作品を読み始め、大叙事詩だけでなく『牧歌』や『農耕詩』にも触れ、そこで theVirgil of the insects がいかに的確なニックネームか気づいたのだ。ウェルギリウスも蜂などの働きを賞賛して、生き物の日々の労働を歌い上げている。詩的表現ももちろん共通しているが、対象の営みに注ぐ視線の温かさが、ウェルギリウスとファーブルの一番のつながりではないか――文学の体系の中で、二人はしっかり結ばれていると実感した。
さてファーブルの亡きあと、その流れを引き継いでいる詩人は誰か。ぼくの頭にまず浮かんでくるのは、チェコの詩人ミロスラフ・ホルブ(一九二三―九八)だ。免疫学者として活躍しながら、観察とファンタジーを綯い交まぜ(ないまぜ)にした文学を生み出し、なかでも、雌の蠅を通して百年戦争を捉えた「ハエ」は鮮烈だ。繰り返し読めば、ファーブルの影響がじわりと感じられる。
ハエ
ミロスラフ・ホルブ
柳の木の幹に
彼女はとまった。
目の前で
クレシーの戦いが
繰り広げられている。
さけび声、
うめき声、
あえぎあえぎ
その場にくずおれるもの、
どしんどしんと
地面を踏み鳴らすもの。
フランス側の騎士軍が
ちょうど十四回目の
突撃を試みていたときだ。
ヴァダンクールの町から
飛んできた茶色い目の雄のハエと、
彼女は交尾した。
そして、倒れた馬の
はみ出た内臓に腰をかけ、
足をすり合わせながら
ハエの永遠なる繁栄について
じっくり考えた。
それから、クレルヴォー公爵の
いよいよ青くなった舌の上で
しばし安息した。
そのころには、あたりは
だいぶ静まり、あちらこちらの
木蔭で、腕が小刻みに震えたり、
足がぴくんぴくん
動いたりしていただけ。
あとは、腐敗の
空気がやんわりと死体を包み込み、
ささやくかのよう。
すると彼女は卵を産み付け始めた。
王室の武具師をつとめた
ヨハン・ウルの
片方の眼球の上に。
そしてその瞬間、
ぱくっと食われたのである。
火を放たれた
エストレの町から逃れてきた
アマツバメの一羽に。