月報 第15号・第16号

月報第15号 第8巻 上

アーサー・ビナード

「ファーブルのあと」

「シェークスピアとダンテとどっちが偉い?」みたいな背比べは、無意味だと思う。けれど、文学史を見渡して体系づけようとする場合、おのずとランキングの側面が出てくる。取捨選択自体が一種の格づけであり、そんな選択抜きには当然、文学は語れない。古代まで視野に入れて西洋の大詩人を挙げるとなると、ホメロスとウェルギリウスがトップにくるだろうか。大叙事詩を作り上げた二人はとっくに〝詩聖〟の域に入り、また〝詩人〟を表わす代名詞としてその名が使われたりもする。

 ジャン=アンリ・ファーブルのことを英語で紹介するとき、よく the Virgil of the insects(昆虫のウェルギリウス)と呼ぶ。昆虫少年だったぼくは、ウェルギリウスの詩を読むよりも前にファーブルに出会っていたので、その〝又の名〟を聞いても格別な感動はなかった。ま、ファーブルのポエティックな文章をたたえて、〝詩人〟という意味でウェルギリウスが使われているのかなと、そう軽く受け止めていた。

 ところが、大学生になってちゃんとウェルギリウスの作品を読み始め、大叙事詩だけでなく『牧歌』や『農耕詩』にも触れ、そこで theVirgil of the insects がいかに的確なニックネームか気づいたのだ。ウェルギリウスも蜂などの働きを賞賛して、生き物の日々の労働を歌い上げている。詩的表現ももちろん共通しているが、対象の営みに注ぐ視線の温かさが、ウェルギリウスとファーブルの一番のつながりではないか――文学の体系の中で、二人はしっかり結ばれていると実感した。

 さてファーブルの亡きあと、その流れを引き継いでいる詩人は誰か。ぼくの頭にまず浮かんでくるのは、チェコの詩人ミロスラフ・ホルブ(一九二三―九八)だ。免疫学者として活躍しながら、観察とファンタジーを綯い交まぜ(ないまぜ)にした文学を生み出し、なかでも、雌の蠅を通して百年戦争を捉えた「ハエ」は鮮烈だ。繰り返し読めば、ファーブルの影響がじわりと感じられる。

  ハエ
 ミロスラフ・ホルブ
 柳の木の幹に
 彼女はとまった。
 目の前で
 クレシーの戦いが
 繰り広げられている。
 さけび声、
 うめき声、
 あえぎあえぎ
 その場にくずおれるもの、
 どしんどしんと
 地面を踏み鳴らすもの。

 フランス側の騎士軍が
 ちょうど十四回目の
 突撃を試みていたときだ。
 ヴァダンクールの町から
 飛んできた茶色い目の雄のハエと、
 彼女は交尾した。

 そして、倒れた馬の
 はみ出た内臓に腰をかけ、
 足をすり合わせながら
 ハエの永遠なる繁栄について
 じっくり考えた。

 それから、クレルヴォー公爵の
 いよいよ青くなった舌の上で
 しばし安息した。

 そのころには、あたりは
 だいぶ静まり、あちらこちらの
 木蔭で、腕が小刻みに震えたり、
 足がぴくんぴくん
 動いたりしていただけ。

 あとは、腐敗の
 空気がやんわりと死体を包み込み、
 ささやくかのよう。

 すると彼女は卵を産み付け始めた。
 王室の武具師をつとめた
 ヨハン・ウルの
 片方の眼球の上に。

 そしてその瞬間、
 ぱくっと食われたのである。
 火を放たれた
 エストレの町から逃れてきた
 アマツバメの一羽に。

月報第16号 第8巻 下

青木重幸/黒須詩子

「無限に広がる微小なワタムシの世界」

『昆虫記』第8巻下は、テレビントに虫癭(むしこぶ)を形成するワタムシ(アブラムシ)が主役となり、最初の四章を占める。テレビントなどピスタキア属の樹木は、地中海沿岸を主たる分布域としており、残念ながら日本ではこの仲間の虫癭を見ることはできない。ただ、本書に出てくる五種のワタムシは、すべてイネ科植物を二次寄主としてその根に寄生し、そこで周年暮らすことが可能である。このために、その虫癭自体は目にすることができないものの、たとえばウスイロワタムシは日本でも陸稲(おかぼ)の根などから見出されている。

 昆虫好きの方でも、アブラムシは別世界の住人のように思われるかもしれない。小さいうえに体が柔らかく、針で刺して標本箱にならべるような虫ではない。普通の人間が関心をもつには、ある程度の大きさが必要なようで、個々のアブラムシは愛(め)でるには小さすぎる。だが、彼らの形成する虫癭は木の実や果実ほどの大きさがあり、その造形美によってプリニウスの時代から、いやおそらくはそれ以前の時代から、人々の関心を惹(ひ)きつけてきた。南欧の澄みきった青い空を背景に、牛の角のようなオウシュウワタムシの虫癭を初めて見たときの記憶がよみがえってくる。その異形の美しさを表わす適切な言葉が見つからないが、あれはなんだろう、実だろうか、食べられるのかと、誰でも思うのではないか。

 ファーブルがテレビントのアブラムシを取り上げたのは、無論この虫癭に関心をもったからだろう。現代の知識では、オウシュウワタムシとツボワタムシは受精卵から春に孵化(ふか)した幹母(かんぼ)と呼ばれる第一世代がテレビントの小葉(しょうよう)に虫癭を形成し、秋に有翅虫(ゆうしちゅう)が育って虫癭が裂開するまで、その子供たちと一緒に生活することがわかっている。ファーブルは『昆虫記』で扱った五種すべてが、ハンゲツワタムシのように幹母とその子供でそれぞれ別の虫癭を造ると考えていたが、これは正しくない。しかし、その他の記述は正確で、テレビント上の五種のワタムシの生活を美しい文体で描写している。

 他方、秋になって、テレビントの虫癭を去った有翅虫が飛んでいく先はイネ科の植物であると推測しているだけで、秋から春にかけてのイネ科植物の根に寄生して暮らす世代(二次寄主世代)についての叙述がない。ファーブルはブドウの根に寄生し、フランスのワイン産業に壊滅的な被害を与えた新大陸起源の大害虫、ブドウネアブラムシ(フィロキセラ)についての研究を行なっていたくらいだから根に寄生するからといって観察にとまどうことはなかったはずだ。想像でしかないが、彼は根に寄生する世代をいくつか掘り当ててはいたが、ワタムシの同定に自信がもてず、叙述を断念したのではないだろうか。ちなみにウスイロワタムシの地下世代はトビイロシワアリの近縁種Tetramorium caespitumのアリの巣から見つかることがほとんどで、アリに甘露(かんろ)を提供しているというよりは、逆にアリから餌(えさ)をもらっているのだという報告がある。

 なお、テレビントのアブラムシについて、ファーブルが先行研究をどのくらい参考にしていたか、『昆虫記』にはほとんど論文の引用というものがないので、これもよくわからない。また、『昆虫記』のファーブルによる記述も、のちのアブラムシ学者にほとんど引用されていない。

 第8巻が出版されたのが一九〇三年で、ファーブルがセリニャン村に移ったのは一八七九年であるから、このあいだにワタムシの観察がなされたことになる。この巻に登場する五種のワタムシのうち四種についてファーブルが使っていた学名は、イタリアの植物学者であり昆虫学者でもあったパッセリーニGiovanniPASSERINIが一八五六年と六一年に与えたもので、虫癭形成者がワタムシであることは、当時すでにわかっていた。イネ科植物の根への移住についても、ピスタキア属の乳香樹に虫癭を形成するワタムシについて、ブドウネアブラムシの防除で名高いリヒテンシュタインJulesLICHTENSTEINが一八七八年にはその可能性を示唆していたし、一八七九年にはクールシェLucienCOURCHETがテレビントのオウシュウワタムシ、ハンゲツワタムシ、フクロワタムシの三種について、イネ科植物に移住することを

確かめている(G.A.Davatchi1958)。ピスタキアのワタムシの生活史について、英語圏の学者がよく引用するのはイスラエルのウェルトヘイムGutaWERTHEIMの一九五四年の論文で、これによれば、先に述べたクールシェとデルベAlphonseDERBÉSによる南仏での研究(1869)によって、すでに生活史の概要が明らかになっていたという。また、卵を体内に保有したまま死ぬワタムシの有性世代の雌についても、そして受精卵がすぐに孵化せず、翌年の春まで休眠することも知られていたと思われる。

 いずれにせよ、アカデミズムから離れていたファーブルにとって、文献を入手するのはたいへんであったはずで、発見の先取権なども、まったくではないにしろ、ほとんどどうでもよかったのかもしれない。自分の目でテレビントのワタムシの生活史を確認し、『昆虫記』の題材にしたかったのだと思う。しかし、それでも有翅虫の移住先については、先人や同時代人の得た知識を利用しなければならなかったということだろう。

 虫癭を形成するワタムシやその他のアブラムシは、ファーブル以後もずっと研究者たちを惹きつけてきた。ブドウネアブラムシやリンゴワタムシ、ツガカサアブラムシのような害虫の防除という必要にせまられた研究もあるが、そのほかに、ほとんど純粋な学問的好奇心から、アブラムシと寄主植物との相互作用、複雑な生活環(せいかつかん)、社会性などに焦点をあてた研究が、二十世紀を通じて現在に至るまで連綿と続いてきている。なかでも虫癭の乗っ取りや、同種や異種の幼虫の入り込み、不妊の兵隊による防衛、体液を使った虫癭修復などの新たな発見は、虫癭の造形美とともに、アブラムシから私たち研究者にもたらされた賜物(たまもの)とさえ思えてくる。数万匹もの兵隊に守られたツノアブラムシの一種Cerataphis vandermeermohriの巨大な虫癭などは、きっとファーブルをも驚嘆させたことだろう。

 ファーブルは、フランスの一般読者に、テレビントのワタムシの魅力をどの程度まで伝えることができたのだろうか。ロマン・ロランはこの巻をも読んで、ワタムシを記憶にとどめただろうか。二十一世紀の今、私たちはインターネットを通じて、簡単にワタムシとその虫癭の画像を見ることができるようになった。またアブラムシを含め、かつては小さすぎて見向きもされなかった昆虫たちの画像をウェブにアップする愛好家も増えている。この新訳が、新たなバックグラウンドをもった読者層に受け入れられることを願う。