昆虫のなかで、子供にも、一般の蒐集家(コレクター)にも、もっとも人気のあるものと言えば、それは、蝶(ちょう)を除けば甲虫(こうちゅう)、それも、種数(しゅすう)の少ないカブトムシを押さえてやっぱりクワガタムシということになるであろう。
そのクワガタムシの何が魅力かと言えば、それはもちろん鍬形(くわがた)、つまりあの角(つの)、あるいは牙である。もちろんこれは角などではなくて口器(こうき)の一部、つまり大腮(おおあご)――大顎と書かずに大腮と書く――である。
日本では昔からミヤマクワガタとノコギリクワガタがクワガタムシの双璧で、オオクワガタは数が少ないうえに、樹洞(じゅどう)に潜み、その用心深い性質から、子供にはめったに捕れぬ別格の存在であった。
ミヤマとノコギリのどっちが強いか、昔の子供は論より証拠、闘わせてみたものだが、選手としてたいていはミヤマのほうが正統で、“ゲンジ”と呼ばれたのに対し(この場合“ヘイケ”はコクワガタである)、ノコギリはむしろ悪役とされていたようで、これを“カジワラ”と呼ぶ地方がある。芝居や『義経記(ぎけいき)』のような軍記物(ぐんきもの)が子供にも知られていた時代の名残で、梶原は父の景時(かげとき)でも子の源太景季(げんたかげすえ)でも、卑怯卑劣な敵役(かたきやく)である。
すなわち、源頼朝(みなもとのよりとも)の家人(けにん)であった梶原景時は、源義経(みなもとのよしつね)を讒(ざん)し、また後には結城朝光(ゆうきともみつ)を源頼家に讒したという。つまり、何かというと他人のことを告げ口する悪い奴というわけ。
本当は“悪い”などと単純なことを言ってはいけなくて、先見の明のある、政治家として有能な人物は頼朝である。しかしそのやり方はいかにも冷徹そのもの。腹違いとはいえ、手柄をたてて人気のある弟のことを邪魔にして、口実をもうけて殺してしまったわけである。しかし、権現様、すなわち徳川家康が尊敬するこの征夷大将軍、源頼朝を悪役にするわけにはいかないから、江戸期には特に、悪いのは梶原ということにされていったようである。
それに梶原景時は、結城朝光に逆にその誣告(ぶこく)を訴えられ、鎌倉から追放されたうえ、駿河国(するがのくに)狐崎(きつねがざき)で、一族とともに亡ぼされている。もちろん子の景季も同じ運命で、だから死人に口無し、弁護する人間もいないから軍記物ででも何ででも悪口を言われっぱなしである。
で、ノコギリクワガタが何故あまり好かれないのかというと、その大腮が下向きにぐいと湾曲していて、対峙(たいじ)した相手の体の下にそれを差し込み、えいとばかり引っくり返してしまうところがいかにも陰険な感じがするのであろう。
この大腮は使いかたによっては凶器にもなりうるもので、カブトムシをこれと一緒に籠(かご)に入れておくと、カブトの首をちょん切ってしまったりする。子供のころ、朝起きると籠の中に首なしカブトの死体がいくつも転がっているのを見て驚いたことがあるけれど、下手人(げしゅにん)は梶原ならぬノコギリクワガタなのであった。
カブトムシは地方によっては“ベンケイ”と呼ばれ、これも頼もしい大男で悲劇の立役者であるから、こういう経験をした子供はますますノコギリクワガタを憎む……とは考えすぎか。
クヌギの樹上で樹液を争う段になると、カブトはその長大な角を梃子(てこ)にしてノコギリなんかいっぺんに跳ね飛ばしてしまうのであるが、いかんせん囚われの籠の中では卑怯な梶原のために非業の死を遂げるのである。――などとノコギリクワガタのことを悪く言ってしまったけれど、私自身はこの種が別に嫌いなのではない。この仲間Prosopocoilus(プロソポコイルス)属は東南アジアに大型種を産し、世界最長のクワガタとされるジャワやロンボク、フロレス島のギラファP.giraffaもこの仲間である。
それはともかく、クワガタムシの大腮は本来実用の武器というよりは大将の鎧(よろい)、兜(かぶと)と同じで、相手に見せびらかし威圧するだけの、いわば武の装身具であって、めったなことでは使いたくない。もちろんいざとなれば実用にも供するけれど、ガチャンとか、ガッキとか、ぶつければせっかくの漆(うるし)が剥げてしまう。そしてまたクワガタの雌の短い大腮のように、朽ち木を削る工具のような役割も課されていない。況(いわ)んや、食べるために用いるものでは決してない。
本当の意味で凶器のような大腮を、肉をむさぼるために用いる甲虫の筆頭は、オオヒョウタンゴミムシや東南アジアのエンマゴミムシ、そしてハンミョウの仲間である。
オオヒョウタンゴミムシの凶暴さについては『昆虫記』の記述にゆずるとして、エンマゴミムシというのは東南アジアのラオスとかタイにいる、ゴミムシの仲間にあっては例外的に大型の虫で、翅鞘の縁が金緑色(きんりょくしよく)や赤味を帯びた金色に輝いている。大きな、美しい虫であるから、いかにも珍品と思われていて、二十世紀前半に活躍したフランスの標本商ウージェーヌ・ル・ムールトは現地の採集人に対し、これに高い値をつけて、もっと採るように頼んでおいた。ところが昆虫に珍品なし、の格言どおり、採集の方法がわかってみるといくらでも採れるのである。バケツにこの虫をいっぱい入れた採(と)り子(こ)たちが標本商の泊まっている宿の前に行列をつくり、ついに彼は有り金をはたいたあげく、買い切れずに逃亡したという。
ハンミョウについても少し記しておこう。今は道路が舗装されたために激減したけれど、昔は田舎道を歩いていてよくハンミョウを見かけたものである。小説では泉鏡花(いずみきょうか)の「龍潭譚(りゅうたんたん)」にも出てくるが、赤と紫の美しい甲虫で、鏡花の筆で、……つくづく見れば羽蟻(はあり)の形して、それよりもやゝ大(おほい)なる、身はたゞ五彩の色を帯びて青みがちにかゞやきたる、うつくしさいはむ方(かた)なし。
と描かれた虫が、甲虫とは思えないほど上手に、パーッ、パーッと飛ぶ。人が近づくとまた飛んでは止まる。その様がまるで旅人を先導するように思われるために、“ミチオシエ”とか“ミチシルベ”とかいう別称もある。
鏡花の小説ではハンミョウが主人公の少年を異界へと誘い込むのだが、鏡花はこの美しく無毒の“姿のハンミョウ”と、毒殺に使われた、前者とは縁もゆかりもない“有毒のハンミョウ”、つまりツチハンミョウとを混同するというクラシックな間違いをそのまま書いている。
ところで、この美麗昆虫の顔を虫眼鏡でよく見ると、もの凄いのである。大腮は鋭い鋸歯(きょし)を生やした武器そのもの、道を這うアリなどに噛(か)みついて、たちまち襤褸切(ぼろぎ)れのようにずたずたにしてしまう。しかも動きは今言ったとおり敏捷であるから、英語ではタイガービートル、つまり「猛虎甲虫」と名づけられている。美しい生きた凶器というのもまた魅力に満ちたもので、ドイツの大文学者、エルンスト・ユンガーのように終生この虫に魅せられ続けた人がいる(拙著『壊れた壺』〈集英社文庫〉参照)。
ハンミョウの幼虫は固い地面に竪穴を掘って潜んでいて、傍らを通りかかる虫などがいると、まるでびっくり箱の中の人形のようにさっと身を乗り出して大腮でくわえ取る。そのスピードは何百分の一秒という速さであろう。襲われる虫にとってはまさに青天の霹靂、人間なら驚きと恐怖で声も出ないところである。そのときハンミョウの幼虫は、走り高跳びの背面跳びの選手のように身をそっくり返らせるのだが、その瞬間を狙ってこの幼虫の首の下を刺し、麻痺させて自分の幼虫の餌とする狩りバチがいるのである。ツヤアリバチという。上には上、昆虫の世界は驚きに満ちているとつくづく思う。
エンマハンミョウはアフリカ南部に産する異様な姿をした甲虫で、これもまた、肉食用の猛烈な大腮をもっている。黄昏時(たそがれどき)や夜間、狩りをし、昆虫のみならず齧歯類(げっしるい)やトカゲまで襲うという。
エンマハンミョウの仲間には、Manticora(マンテイコラ)属という学名がついているが、これはインドの伝説的な人面獅子身の怪獣の名に由来し、古代ペルシア語ではmartikhoras(マルテイコーラス)すなわち「人を喰う獣」の意味だそうである。と書いてくると澁澤龍彦氏の『幻想博物誌』(河出文庫)を想い出すが、私はこれをフランスの『虫の肖像』という本で知った。そして興味を惹かれたので一冊全部を訳出した(クレール・ヴィルマン/フィリップ・ブランショ『虫の肖像』東洋書林)。実際に、人間でもこの大型の甲虫に遭(あ)うと、“身の危険”のようなものを感じるというが、そういう経験ならちょっとしてみたい気がする。