月報 第13号・第14号

月報第13号 第7巻 上

三木 卓

「父親に導かれて」

 幼少期を、一九三○、四○年代の中国東北ですごした。

 ぼくもいつのまにか、昆虫にあこがれる少年になっていったけれども、今、当時の中国東北の自然のことを思い出すと、それが大連・奉天・新京という都市だったのに、自然はすごくて、〈自然はいいですね〉というようなものではなかった。

 たとえば大連の日本人居住区のアスファルト舗装の十字路で、中型のトンボたちがもつれあいながら、巨大な蚊柱をつくって、狂ったように回転していた。近所のお兄ちゃんが近くの丘でつかまえて来た、というカナブンは、バケツいっぱいあって、いっせいにうごめいていた。

 一九八○年ごろ、ぼくは牡丹江(ぼたんこう)の南にある鏡泊湖(きようはくこ)を訪れたことがある。この湖は、『偉大なる王(ワン)』を書いた白系露人の動物小説家バイコフ(一八七二—一九五八)も行ったことのあった場所だ、と記憶するが、車で湖畔の真夏の野原を走っていると、緑の起伏や、まっしろい幹をのぞかせて立つ白樺林などが実に美しかった。

 しかし、いざ車を降りて地面に降りたつと、あたりは異様な音で鳴りわたっていた。その原因はブヨやアブやカの羽音だったのである。そして、風景の透明感のある美しさとは似つかわしくない、野生の匂いのようなものが、満ちわたっていた。ぼくらは、危険を感じ、その中を手足をすばやくうごかし、顔のまわりをはらいながら進んだのだった。

 また車にもどったとき、ぼくはかつて見たトンボの蚊柱やバケツいっぱいのカナブンのことを思い出した。あれは、こういう世界を背景にしたもので、そのあふれのようなものだったのだ。

 ぼくがファーブルの『昆虫記』に出会ったのは一九四二年ごろ、小学校三年ごろで、それは奉天(現瀋陽)郊外の北陵というところだった。新聞記者をしていた父親が、休日に岩波文庫版を読んでくれたからである。ぼくは南仏がどういうところなのかも、ファーブルがどういう人なのかも知らないで、スカラベ・サクレの玉ころがしや狩りバチの行動などをとてもおもしろく思い『昆虫記』は心に残る本となった。

 そして、大連の家の隣のお屋敷の庭のとび石の上を、這うようにして飛んでいたジガバチの姿を思い出したり、奉天の家の外の木の枝にあるのはトックリバチらしいものがつくった泥のコブではないか、とあやしんだりした。

 父親は、旧制中学しか出ていなかったが、けっこう読書好きで、文学と博物に関心が深かった。そういうかれは、ぼくに将来、宮沢賢治の出身校である盛岡の高等農林へ進学して植物の仕事をしたらどうか、とか、星座の星をおぼえるために、ギリシャ文字の読み方を教えてくれたりした。

 かれは終戦直後の新京(現長春)で、北からのがれて来た日本人避難民の世話をしていて、当時流行していた発疹チフスにかかって死んだ。そのときぼくは十歳だったから、とほうに暮れた。

 このことは、とても大きなことだったと思う。ぼくは父親なしで生きる子になったからだが、そのことはまた、現実を生きる父親よりも、理想を語ってくれる父親のイメージをより強く記憶することになったからだ。ぼくにとってファーブルも、宮沢賢治もそのなかにあった。

 しかし戦後はたいへんで、ぼくは右往左往して生き、昆虫少年にも天文少年にもなれなかった。母親は、ぼくに尺八をやらせて自分は箏(こと)で合奏する、という構想をもっていたようだが、それもふっとんだ。

 昆虫への関心がふたたびめざめるのは、勤務していた出版社が倒産した三十なかばぐらいのころである。東京の下町の現実のなかで自由になったぼくは、空地を飛ぶベニシジミなどを見ていて、こいつらをもっと知りたい! と思った。ぼくは何をしてもいいのだ、とも思った。

●『昆虫記』の名脇役オオヒョウタンゴミムシ

【実用かそれとも見栄か】奥本大三郎

蟲の賜・7

 昆虫のなかで、子供にも、一般の蒐集家(コレクター)にも、もっとも人気のあるものと言えば、それは、蝶(ちょう)を除けば甲虫(こうちゅう)、それも、種数(しゅすう)の少ないカブトムシを押さえてやっぱりクワガタムシということになるであろう。

 そのクワガタムシの何が魅力かと言えば、それはもちろん鍬形(くわがた)、つまりあの角(つの)、あるいは牙である。もちろんこれは角などではなくて口器(こうき)の一部、つまり大腮(おおあご)――大顎と書かずに大腮と書く――である。

 日本では昔からミヤマクワガタとノコギリクワガタがクワガタムシの双璧で、オオクワガタは数が少ないうえに、樹洞(じゅどう)に潜み、その用心深い性質から、子供にはめったに捕れぬ別格の存在であった。

 ミヤマとノコギリのどっちが強いか、昔の子供は論より証拠、闘わせてみたものだが、選手としてたいていはミヤマのほうが正統で、“ゲンジ”と呼ばれたのに対し(この場合“ヘイケ”はコクワガタである)、ノコギリはむしろ悪役とされていたようで、これを“カジワラ”と呼ぶ地方がある。芝居や『義経記(ぎけいき)』のような軍記物(ぐんきもの)が子供にも知られていた時代の名残で、梶原は父の景時(かげとき)でも子の源太景季(げんたかげすえ)でも、卑怯卑劣な敵役(かたきやく)である。

 すなわち、源頼朝(みなもとのよりとも)の家人(けにん)であった梶原景時は、源義経(みなもとのよしつね)を讒(ざん)し、また後には結城朝光(ゆうきともみつ)を源頼家に讒したという。つまり、何かというと他人のことを告げ口する悪い奴というわけ。

 本当は“悪い”などと単純なことを言ってはいけなくて、先見の明のある、政治家として有能な人物は頼朝である。しかしそのやり方はいかにも冷徹そのもの。腹違いとはいえ、手柄をたてて人気のある弟のことを邪魔にして、口実をもうけて殺してしまったわけである。しかし、権現様、すなわち徳川家康が尊敬するこの征夷大将軍、源頼朝を悪役にするわけにはいかないから、江戸期には特に、悪いのは梶原ということにされていったようである。

 それに梶原景時は、結城朝光に逆にその誣告(ぶこく)を訴えられ、鎌倉から追放されたうえ、駿河国(するがのくに)狐崎(きつねがざき)で、一族とともに亡ぼされている。もちろん子の景季も同じ運命で、だから死人に口無し、弁護する人間もいないから軍記物ででも何ででも悪口を言われっぱなしである。

 で、ノコギリクワガタが何故あまり好かれないのかというと、その大腮が下向きにぐいと湾曲していて、対峙(たいじ)した相手の体の下にそれを差し込み、えいとばかり引っくり返してしまうところがいかにも陰険な感じがするのであろう。

 この大腮は使いかたによっては凶器にもなりうるもので、カブトムシをこれと一緒に籠(かご)に入れておくと、カブトの首をちょん切ってしまったりする。子供のころ、朝起きると籠の中に首なしカブトの死体がいくつも転がっているのを見て驚いたことがあるけれど、下手人(げしゅにん)は梶原ならぬノコギリクワガタなのであった。

 カブトムシは地方によっては“ベンケイ”と呼ばれ、これも頼もしい大男で悲劇の立役者であるから、こういう経験をした子供はますますノコギリクワガタを憎む……とは考えすぎか。

 クヌギの樹上で樹液を争う段になると、カブトはその長大な角を梃子(てこ)にしてノコギリなんかいっぺんに跳ね飛ばしてしまうのであるが、いかんせん囚われの籠の中では卑怯な梶原のために非業の死を遂げるのである。――などとノコギリクワガタのことを悪く言ってしまったけれど、私自身はこの種が別に嫌いなのではない。この仲間Prosopocoilus(プロソポコイルス)属は東南アジアに大型種を産し、世界最長のクワガタとされるジャワやロンボク、フロレス島のギラファP.giraffaもこの仲間である。

 それはともかく、クワガタムシの大腮は本来実用の武器というよりは大将の鎧(よろい)、兜(かぶと)と同じで、相手に見せびらかし威圧するだけの、いわば武の装身具であって、めったなことでは使いたくない。もちろんいざとなれば実用にも供するけれど、ガチャンとか、ガッキとか、ぶつければせっかくの漆(うるし)が剥げてしまう。そしてまたクワガタの雌の短い大腮のように、朽ち木を削る工具のような役割も課されていない。況(いわ)んや、食べるために用いるものでは決してない。

 本当の意味で凶器のような大腮を、肉をむさぼるために用いる甲虫の筆頭は、オオヒョウタンゴミムシや東南アジアのエンマゴミムシ、そしてハンミョウの仲間である。

 オオヒョウタンゴミムシの凶暴さについては『昆虫記』の記述にゆずるとして、エンマゴミムシというのは東南アジアのラオスとかタイにいる、ゴミムシの仲間にあっては例外的に大型の虫で、翅鞘の縁が金緑色(きんりょくしよく)や赤味を帯びた金色に輝いている。大きな、美しい虫であるから、いかにも珍品と思われていて、二十世紀前半に活躍したフランスの標本商ウージェーヌ・ル・ムールトは現地の採集人に対し、これに高い値をつけて、もっと採るように頼んでおいた。ところが昆虫に珍品なし、の格言どおり、採集の方法がわかってみるといくらでも採れるのである。バケツにこの虫をいっぱい入れた採(と)り子(こ)たちが標本商の泊まっている宿の前に行列をつくり、ついに彼は有り金をはたいたあげく、買い切れずに逃亡したという。

 ハンミョウについても少し記しておこう。今は道路が舗装されたために激減したけれど、昔は田舎道を歩いていてよくハンミョウを見かけたものである。小説では泉鏡花(いずみきょうか)の「龍潭譚(りゅうたんたん)」にも出てくるが、赤と紫の美しい甲虫で、鏡花の筆で、……つくづく見れば羽蟻(はあり)の形して、それよりもやゝ大(おほい)なる、身はたゞ五彩の色を帯びて青みがちにかゞやきたる、うつくしさいはむ方(かた)なし。

 と描かれた虫が、甲虫とは思えないほど上手に、パーッ、パーッと飛ぶ。人が近づくとまた飛んでは止まる。その様がまるで旅人を先導するように思われるために、“ミチオシエ”とか“ミチシルベ”とかいう別称もある。

 鏡花の小説ではハンミョウが主人公の少年を異界へと誘い込むのだが、鏡花はこの美しく無毒の“姿のハンミョウ”と、毒殺に使われた、前者とは縁もゆかりもない“有毒のハンミョウ”、つまりツチハンミョウとを混同するというクラシックな間違いをそのまま書いている。

 ところで、この美麗昆虫の顔を虫眼鏡でよく見ると、もの凄いのである。大腮は鋭い鋸歯(きょし)を生やした武器そのもの、道を這うアリなどに噛(か)みついて、たちまち襤褸切(ぼろぎ)れのようにずたずたにしてしまう。しかも動きは今言ったとおり敏捷であるから、英語ではタイガービートル、つまり「猛虎甲虫」と名づけられている。美しい生きた凶器というのもまた魅力に満ちたもので、ドイツの大文学者、エルンスト・ユンガーのように終生この虫に魅せられ続けた人がいる(拙著『壊れた壺』〈集英社文庫〉参照)。

 ハンミョウの幼虫は固い地面に竪穴を掘って潜んでいて、傍らを通りかかる虫などがいると、まるでびっくり箱の中の人形のようにさっと身を乗り出して大腮でくわえ取る。そのスピードは何百分の一秒という速さであろう。襲われる虫にとってはまさに青天の霹靂、人間なら驚きと恐怖で声も出ないところである。そのときハンミョウの幼虫は、走り高跳びの背面跳びの選手のように身をそっくり返らせるのだが、その瞬間を狙ってこの幼虫の首の下を刺し、麻痺させて自分の幼虫の餌とする狩りバチがいるのである。ツヤアリバチという。上には上、昆虫の世界は驚きに満ちているとつくづく思う。

 エンマハンミョウはアフリカ南部に産する異様な姿をした甲虫で、これもまた、肉食用の猛烈な大腮をもっている。黄昏時(たそがれどき)や夜間、狩りをし、昆虫のみならず齧歯類(げっしるい)やトカゲまで襲うという。

 エンマハンミョウの仲間には、Manticora(マンテイコラ)属という学名がついているが、これはインドの伝説的な人面獅子身の怪獣の名に由来し、古代ペルシア語ではmartikhoras(マルテイコーラス)すなわち「人を喰う獣」の意味だそうである。と書いてくると澁澤龍彦氏の『幻想博物誌』(河出文庫)を想い出すが、私はこれをフランスの『虫の肖像』という本で知った。そして興味を惹かれたので一冊全部を訳出した(クレール・ヴィルマン/フィリップ・ブランショ『虫の肖像』東洋書林)。実際に、人間でもこの大型の甲虫に遭(あ)うと、“身の危険”のようなものを感じるというが、そういう経験ならちょっとしてみたい気がする。

月報第14号 第7巻 下

日高敏隆

「個体の行動から種をとらえる」

 ぼくが大学生のころには、ファーブルを否定することが科学者らしい態度なのだという風潮がありました。あれは、よくできたお話だ、あんなふうにうまくはできていないよ、というわけです。なかには、そんな話にのっちゃいけないよ、というふうに言う先生もいました。ぼくも、そうかなあとおもいながら、自分で自然を見てみると、細部では間違いもありますが、結果的には間違っていない。ファーブルの観察力は確かなものだと考えるようになりました。だいたい百年前のことなのですから、まったく間違っていないというほうが不思議でしょう。誤りは、のちの人が修正していけばいい。動物は何をしているのかという「観察」が大切なんですね。『昆虫記』にはストーリーがあります。このストーリーはフィクションではありません。虫がどうして、何のために、そんなことをするのか。狩りバチが幼虫の食物となる獲物を殺さずに麻酔をかけるのは、なぜなのか。スカラベの糞球が梨球の形で、細い首の部分に卵を産みつけるのは、なぜなのか。そうした問いにファーブルは答えようとします。その時点でもっとも妥当だと思われる説明をつけていきます。たんなる観察記録だけではなく、主人公である虫の行動を説明するストーリーを語るわけです。『昆虫記』には、そのような発見的な価値が含まれているのです。

 1960年代の初めごろ、ぼくはローレンツの『ソロモンの指環』(早川書房)を翻訳しました。これがひとつのきっかけになって、日本でも動物行動学という学問が育ちはじめました。動物行動学とは、それぞれの動物が、なぜそのような行動をとるのかを知る学問です。そのために、行動の仕組み、結果としての得(利益)、行動の発達(生得的か学習か)、行動の進化の4つの要素を想定します。それまで種は、子孫を残すために存在するのだと捉えられていました。全体から個を見ていたのです。動物行動学は、個体の行動から種全体を知ろうとします。個体の行動が目的をかなえ、そのことが種という全体を動かしているというわけです。

 闇のなかでガの雌が雄を誘引するという話は、古くからファーブルの観察が有名でした。その後、ファーブルが「未知の発散物」と呼んでいた匂いの物質が抽出され、それにフェロモンという名がつけられました。そしてフェロモンの研究が大流行になりました。いろいろな論文を読むと、その効力の凄さが書かれてあり、雄が雌のもとにフェロモンをたよりに一直線に飛んでくるようなことが書いてあります。

 しかし、どうもぼくが自分で野外で観察していることと違う。雄が雌のもとに真っ直ぐに来ているということはなくて、あっちやこっちにふらふらしているんです。でも、結果的にはちゃんと雌のもとに雄が来ているんだから、何か仕組みはあるはずだと思いました。

 そこでアメリカシロヒトリをつかって観察してみました。縦4メートル、横6メートルの暗幕を張り、その中央に籠に入れた処女雌を置きます。アメリカシロヒトリは白いガなので、黒い布を背景にすると飛跡が観察しやすいのです。雄は直線的にすごい速度で飛び交っています。ただ、雌の近くを通った雄は急に速度を落としてゆっくりジグザグに飛ぶようになり、やがて雌のもとにたどりつきます。このジグザグ飛翔のときに、雄はフェロモンに導かれているように見えました。そして、雄がこのようなジグザグ飛翔に切り替えるのは、風下で3メートル、風上で2メートルの範囲に突入したときだけなのです。つまり、この範囲だけが、フェロモンの有効範囲だったんです。それ以外では、直線的に広域を飛んで雌を捜しているというわけです。ジグザグに飛んでいるとき、見ていると雄は頼りないんですね。ほんとうにたどりつけるんだろうか。でも、結局はうまくいく。物理学のようにぴしっとしてはいないが、最終的には目的にたどりつく。生き物というものは、そういうものなんだと非常に実感しました。

 卵から生まれるガは、雌雄が半々くらいです。そんな遠距離から雄が雌を探す必要なんてないんです。だいたい、その半数の雌が広域にわたってフェロモンを出しているとしたら、雄はどこに行っていいのかわからなくなってしまうでしょう。

 人間は合理的に話をつくりやすい性質があります。「自然はうまくできていますね」という話は、たちまち世の中に広まっていきます。しかし自然とはそうではなくて、合理的ではないが、結局そうなっているだけの話なんです。『昆虫記』の記述のなかで、ごちゃごちゃしているところがときどきあります。いったいなんなんだよ、というところもあります。ファーブルの論の進め方、過剰なまでの厳密さ、何を言ってるのかわからないところもあります。でも、その部分をあとから読み直すと、ファーブルなりに悩んでいることがうかがえます。たとえばオオクジャクヤママユの記述などでも、雄が雌を捜してあっちこっちふらふら飛んでいる様子を感じさせるところがあります。こんなところが『昆虫記』の大切な部分であって、ファーブルは間違っている、だから否定すればいいなんていうのは、ずいぶん乱暴な話です。

 自然を紹介するテレビ番組でも、よく30〜50分で「自然はよくできていますね」と結論づけたりしています。でも、その仕組みは解説されない。それがなければ、むかし神様が世界を創ったので世の中は完璧なのです、というような話と同じになってしまいます。本来、自然は、そううまくいくものではないのです。そこを語ることが科学的な説明なのではないでしょうか。

 学問の受け入れられ方というのは、文化や国民性によって異なります。たとえば日本人は、すんなり進化論を受け入れました。動物行動学の本は、よく面白いと言われます。動物行動学に否定的な研究者のなかにも、面白いという人がいます。動物行動学の本を読むと腹が立ってくる、でも面白いと言うのです。かつては、仮説と検証にのっとったティンバーゲンは科学的であるが、観察重視のローレンツはだめだという人もいました。学問の受容にも文化ごとに個性があります。日本は、これが学問、これは学問でないという線引きが激しすぎました。もちろん西洋でもそういうことはありましたが、それを一段高いところからまとめる力がはたらいていたんですね。

 仮説と実験によって支えられてきた科学的とされる物の見方は、研究室の中で育ち、鍛えられてきたものです。いっぽう野外で培われた科学的な見方には、どういう手法が有効なのか。ファーブルのように問いを立て、ことあるごとに実験を工夫し、検証していく手法には、まだまだ大きな可能性が秘められているのだとおもいます。